「うんこミュージアム」にはもう行った?羞恥心なんか捨ててかかってこい

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ale-box.com

 

いま横浜で静かな賑わいを見せている「うんこミュージアム

みなさんはもう行ったでしょうか?

まだ行ってないあなたは大変幸運です。

なぜならこれからあの””衝撃””を味わうことができるから。

うんこだけに幸『運』ってね

 

四方八方をうんこに囲まれたうんこだけの世界。

常に耳に入ってくるのは老若男女の\うんこ~~!!!/という叫び声。

「想像しただけで地獄」と感じたあなた。あなたの感覚は正しい。

でもそれは同時に正しくない。

 

羞恥心、世間体、社会通念。

「周りがやってるから」「みんながやっていないから」

これらはあなたがこれまでの人生で後天的に身につけた常識と呼ばれる概念です。

常識だからこそ人前で「うんこ」の話なんて易々とするものではない。正しい。

 

じゃあ「周りにうんこしかない」「みんながうんこの話しかしていない」。

そんな世界があったらどうでしょうか。

果たして、あなたは『うんこが恥ずかしい世界』の常識を保てるでしょうか。

 

その答えが「うんこミュージアム」にはある。

 

 

 

はじめに

自分でこんな記事を書いておいてアレですが、

ベストなのは何も知らない状態で会場へ足を運ぶことです。

既にうんこミュージアムへ行く意思を固めている人は読まないでください。

うんミュ来訪を迷っている人向けの記事です。

 

人前でうんこの話をしなくなったのはいつからだろう

うんこ。小学生男子に甘美な響きを与える下ネタの王様。

特段の娯楽もない田舎で育った少年期の筆者にとって、

至高の娯楽の一つが「うんこ」だった。

 

有名な楽曲、流行りのアイドルの曲の替え歌でうんこ連呼したり、

友達がうんこしただけでゲラゲラ笑い転げたり、

帰宅中に近所の由紀ちゃん(本名)の家の近くでうんこを漏らして

パンツをパンパンに膨らませながら帰ったり。

 

いつからだろう。人前でうんこの話をしなくなったのは。

中学生の時はまだうんこで喜んでいた。

高校生の時もギリギリ喜んでいた。

大学生になったら流石に収まるかと思ったが、

周りに平気で野糞をするような人間がたくさんいたので普通に喜んでいた。

社会人になってすぐ、社員寮でうんこを漏らした。

初めてうんこで笑顔になれなかった。

  

そう、これ(クソ漏らし)ばかりは恥ずかしくて本当に人に言えなかった。

今思えば私は齢24やそこらでようやく羞恥心を覚えたのである。

人は社会に出ると恥を覚えるのだ。

 

正直うんこのことは今でも大好きだ。それでも人前でうんこの話はできない。

そんな中、私の耳に飛び込んできたのが「うんこミュージアム開催」のニュースだった。

 

チケットは大人気。うんこを舐めてるとヤケドするぞ

うんこミュージアムの開催期間は3/15~7/15。思ったより長い。

うんこくらい長い。

連日大勢の入場者がいるようで、時間指定の前売券はGW直前分まで完売、3/23現在では当日券(+時間指定整理券)を買うしかないらしい。前日0時頃まで残業していた友人(もはや当日)を必死に説得し、朝イチで乗り込むことにした。

10時販売開始のため余裕を見て9時半頃に現地(横浜駅直結アソビル)に到着するも、既に長蛇の列が。まるで排出される直前の直腸に溜まっているうんこである。

 

案内役に顔の良いお兄さんやお姉さんが配置されており、しきりに「うんこミュージアムの当日券売り場はこちらでーす!」と叫んでいる。

彼らのような顔の良い人種からは普段は絶対に聞けない「うんこ」という単語を耳にした瞬間、既に異世界の入り口に足を踏み入れている事実が身体を震わせた。

 

列の捌ける速度はかなり早く、10分足らずでカウンターに到達。

10時オープンにもかかわらず、11-12時入場の整理券だったためそこそこの人数が私の前にいたであろうことが伺える。

君たちそんなにうんこに必死なのか。わかる。私もうんこのために必死で早起きした。沸々と「うんこ同好の士」たちへの熱いリスペクトがこみ上げてくる。

 

チケットを無事に取得できた私たちはゴンチャでうんこトークに花を咲かせながら時間を潰し、指定された時間に会場へと向かった。およそ社会人とは思えない社会性のなさである。

 

固定観念は置いてきた。この戦いにはついてこれそうもない

整理券の時間になると12人1グループで順に中へ案内される。

グループとは言っても5分ほどスタッフが最初の案内だけを行い、あとは自由行動となるので回転はすこぶる速い。快便である。

我々もスタッフのお姉さんに導かれて中へと踏み込む。お姉さんはうんこ帽子をかぶっていた。ちょっと欲しい。

 

\せ~の!うんこ~~!!!!/

案内開始直後、お姉さんの第一声に面食らう面々。

 

お姉さん「ようこそ、うんこの世界へ!

 まずはみなさんに固定観念を捨ててもらいます!

 恥ずかしがらずに叫びましょう!」

 

確かに会場の至るところから来場者たちの\うんこ!!/という叫び声が聞こえてくる。というか他の参加者も既にノリノリ臨戦態勢になっている。

 

お姉さん「もう一回行きますよ!せ~の、」

一同「うんこ~~!!

 

洗脳完了。もはや我々にうんこに対する羞恥心は存在しない。

そのまま奥に進みカラフルな便器の前で立ち止まる。

 

お姉さん「まずはこの『マイうんこメーカー』でみなさんのマイうんこを作ります!」

 「さあ踏ん張って~~!!!」

一同「うおお~~~!」

 

意味は分からないながらも喜んで座り、力み始める来場者一同。

入場して2,3分で外界とは完全に常識が隔絶された世界になった。

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\ボンッッ/

直後、なにやらケツの下で不穏な音がした。

おそるおそる腰を持ち上げるとそこには……

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うんこだ……

 

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うんこだ~!!!!(大興奮)

お姉さん「はい!みなさんのマイうんこです!」

 「これからご自分のうんこと共にミュージアムを巡ってもらいます!」

 「持ちやすいように棒を刺してあげますね~!」

 

矢継ぎ早に意味の分からないことをまくしたてられると、なぜか理解できたつもりになってしまうのが人間である。

なるほど棒を刺したうんこと一緒に中を周るのか完全に理解した。

 

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完全にア◯レちゃんである。

1人1人色の違うマイうんこが排出されるのだが、棒を刺す際に

「爽やかなうんこですね~!(水色)」

「元気なうんこですね~!(黄色)」

など、お姉さんが色に合わせてコメントをくれるのがまた粋である。

 

ちなみに私の紫うんコメントは「毒々しいうんこですね~!」でした。

 

Welcome to UNKO World.

ここでスタッフとはお別れである。

お姉さんに見送られながら、マイうんこを手にさらに奥へと進む。

壁に描かれた「Welcome to UNKO World.」の文字列を横目に会場に入ると、そこは一面うんこの世界だった。

 

フン火するその瞬間を待つ””ウンコ・ボルケーノ””、

うんこをモチーフにしたゲームが並ぶ””クソゲーコーナー””、

鏡張りの夢幻の世界の中に数多のうんこが浮かぶ””ババ・ギャラクシー””。

 

などなど、小学生が企画したのか?と見紛うばかりの素晴らしいクソ展示(うんこ的な意味で)の数々(紹介しきれない)。思わず童心に返って遊んでしまう。

すべてがうんこをモチーフにしているため、「うんこ」という単語を用いずに会話することができない。来場した人々からは口々に「うんこ」の声が挙がっている。

 

我々が入場した瞬間に聞こえてきた「うんこ」の声の元はこれだった。

この世界における「うんこ」はマナーに反する語でも禁句でもなく、ただの「共通語」なのだ。

 

うんこシャウト

特に面白かった展示がこれだ。

マイクに向かって全力で「うんこ」を叫ぶ””うんこシャウト””である。

 

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マイクに向けて叫ぶことで、声量に応じてその体積を肥大化させるうんこと、コエカタマリンのような「うんこ」の文字が画面の中に現れる。

こんなん面白くないわけないじゃん。

 

というかこの展示のせいで会場のどこにいても常にクソデカい声で「うんこぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」という叫び声が聞こえてくるので、意識していなくてもどんどんうんこに対する心理的障壁がなくなっていく。うんこは恥ずかしくない。

 

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オタクライブで声量を鍛えた友人にやらせたらシロナガスクジラ級の巨大うんこができた(私はキリン級の中うんこでした)(貧弱)

 

マイうんこと一緒に家に帰ろう

出口には袋が準備されており、入場時に生み出してからずっと一緒に旅をしてきたマイうんこを持ち帰れるようになっている。絵面は最悪だが、うんこに愛着が湧いてしまった人向けの運営側の細かい配慮が光る。絵面は最悪だが。

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(同行した友人のうんこことフレんこ)

 

物販もうんこ

インビジブルうんこ(足裏にうんこを踏んでいるような感覚がある回廊)を通りながら出口を抜けると、お待ちかねの物販である。

 

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魅力的な商品しかない。多くは語らない。

うんTは普通にセンス良いと思った。職場に着て行きたい。

 

退店時のスタッフの挨拶は「ありがとうんこ〜〜!」でした。

こちらこそ最初から最後まで本当にありがとうんこ。

 

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私が買ったやつ(早速飾った)

 

うん考察

世間一般に「うんこ」という単語は人前で発言するような単語ではない。

そんな固定観念を、うんこミュージアムはいとも容易く取り払った。

 

「スタッフという『公』の人間が率先して発言する」

「『共』に入ってきた周りの人間も躊躇いなくうんこの話をしている」

この2点を以って、限定的な場とはいえ「うんこ」という語が一気に『公共性』を帯びて「常識」となった。

我々が普段から「常識」として扱っている事物は堅固なようでいて、実はとても脆弱な概念であったことを改めて思い知らされる衝撃的な体験である。

 

「常識」と「うんこ」は紙一重の存在なのだ。

私たち個人個人が「常識」として捉えているもののうち、いくつかは隣人にとって「うんこ」たりえるし、同時に自分にとっての「うんこ」が相手にとっての「常識」である可能性もある。

つまり、個人の「常識」を安易に振り回して相手を攻撃することはまったく論理的ではないのである。

 

「常識」という言葉を棍棒のように振り回したことがないか、と問われれば素直に頷くことはできない。

私自身の過去の話であるが、『ふたなり』という概念が不快であり、「常識的に考えて異常」といった発言をふたなり愛好者に対して行ってしまった経験がある。

これは先の発言に照らせば、私にとっての「常識」を絶対の尺度としてしまい、相手の「常識」を「うんこ」だと決めつけてしまった苦い思い出である。

ちなみに今となってはふたなりも美味しく消化できるようになった。

 

うんこミュージアムは私に『自分にとっての「常識」が相手にとっても同じく「常識」であるか、常に自問自答する必要がある』ことを再確認させてくれた。

 

 

あなたの常識は本当に「常識」なのか。

是非、うんこミュージアムに足を運んで確認して欲しい。

 

以上